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建築家を夢見ていた私が、自分の家を建てて思う事

私は子供の頃からずっと『渡辺篤史の建もの探訪』を見ていて、オシャレな家、変わった家が大好きでした。

いつかこの番組に出ているような家を自分も建てて住んでみたいと思っていました。

高校は美術科の油画、芸大油画科を数浪した後、職業訓練校で建築設計を学びました。

そして、ゆくゆくは建築士の資格を取って、自分の設計事務所を持つことを夢想していました。

出産と育児をしつつ、自分の家を建てた今は、建築士の資格を取ることは、もう考えていません。

なぜそうなったのか、今回は書いていこうと思います。

熱量が全然違う!!責任は超重大

施主としては、家は一生で一度の買い物で、絶対に失敗したくはありません。自分の理想郷をつくるという、ものすごい熱量で家に夢を見ています。なので建築士の責任は超重大です。

しかし、人によりますが、建築士は日々いつもの仕事をこなすだけで、熱量は施主程は高くありません。ミスもしますし、うちが依頼してしまったナギラ氏は超自己中で、詐欺まがいのことを平気でしてくるような人物でした。

施主と建築士、工務店。それぞれ、全然熱量が違うのです。

一緒にものを作るにはバランスが悪く、イザコザになる可能性が高いです。

建築士と施主の意見が100%一致することはない

特に建築士と施主、双方のこだわりが強い場合、意見が合わないという事態になりがちだと思います。

コミュニケーションがとにかく大切です。

コミュ障に建築士が務まるかどうか、難しいところです。

建築士は人との関係が物凄く密接!!

建築士は家や建物といった、物を作ることに向かっていると思いがちですが、

実際はその先の人に向かっています。そこが美術作家とは違うところです。

職業としては、人との関係度がかなり高い職業となります。

人の恨みを買う可能性も高い職業です。

施主は一人一人全然違うため、ルーチンワーク、自己中では良い結果になるはずはありません。

アトリエ系で施主が設計事務所に心酔していて「全ておまかせします」というようなことでないかぎり、相手のことを第一に、全力で仕事をしなければ、施主が暮らして良いと思えるような家はできません。

アトリエ系であっても、人が暮らす家である以上、その人のことを考える面も非常に重要です。

AIの可能性

AIが発達していけば、建築士という存在は絶対に必要な存在ではないかもしれません。

自分の思い通りの家に住みたいと、家を建てる人の多くが思うと思います。

施主が自分の家を自分でデザインする。当然のことに思えます。

しかし、構造や実際の使い勝手等、素人にはわからないこともたくさんあります。

今までは、そこで建築士の補助が必要でしたが、人間の建築士は考えに偏りがあったり、

設計費という不透明な費用を詐欺まがいに数百万と奪い取るナギラ氏のような悪徳業者も存在します。

うちも間取り、素材などは全て私が決めました。

「設計(デザイン)は私がしました」というと、「あなたは素人。設計をしたのは建築士でしょ。そんなんじゃ、建築士の存在意義がないじゃないか」

という人がいました。

しかし、建築士というのはAIが発達してくれば、特に必要な職業とは思えません。

施主と工務店の橋渡しをする存在が、必ずしも人間である必要はありません。

必要だとすれば、それは「建築家」や「空間作家」です。AIが思いつかないような建物を人間が考える、それは必要なことです。

空間、建物で表現をする。それは経済の流れに直結する「職業」とは違うもので、「思想家」、「美術家」と同じような存在です。

「こういう家に住みたい」という人にとって、我欲のないAIは非常に優秀な設計補助をしてくれると思います。

実際に建てた家は…

私は『建もの探訪』で、特に個性的な家を面白く見ていました。

印象に強くあったのは、前田紀貞さんの手掛けた家でした。

うちの近くで前田アトリエの「建築塾」が土曜日にやっていると知り、土曜日が休みの仕事を探し、半年間、「建築塾」に通いました。

アトリエ系設計事務所の裏側を垣間見、壮絶な内幕も目の当たりにしました。

その上で、前田アトリエに限ったことではないのですが、芸術的な空間はハリボテであるかもしれないということも気づきました。

アトリエ系が奇抜な建物を建てるのは、もうすでに色々なことがやられている中、苦し紛れにコンセプトを捻出させている面もあります。

自分が考えたことはもうすでに誰かが考えている可能性が高いということが、どうしてもあるのです。

隈研吾氏の建築がカビまみれという、最近のニュースもありましたが、一見すごく見える建築が、実際はハリボテということもあります。

あんなにも革新的な家を考えたり、面白がっていた自分ですが、結局、建てたのは特に何の変哲もない、普通の小屋となりました。

もちろん、ローコストを目指していたということはあります。

しかし、生活のことを考えると、家族のこともありますし、普通の住みやすい家が良いということになりました。

お金を度外視できれば、もちろん、もっと違う空間も作りたいと思います。

しかし、自分で設計事務所を設立して、建築家として他の人の家を考えるということは、自分にできることではないと、今回、自分の家を建てて思いました。